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養生論の思想

瀧澤利行氏(茨城大学教育学部教授)の講演があるということで、立命館大学衣笠キャンパスへ。

(快く、参加を承諾いただいた立命館大学大学院総合学術研究科 「争点としての生命」研究会、感染症研究会等の諸氏に感謝!)

講演タイトルは、「養生論の世界から社会の健康化を読み解く」。
「養生論」という思想を研究されている方がいると、大学時代の友人から伝えられ、一度、話しを聞いてみたいと思っていたところの、グッドタイミング。

「健康ブーム」、「健康の産業化」とか、言われるなかで、そもそも、日本人にとって「健康」って、どう捉えられてきたの?、明治期に移入された概念だとすれば、それを受け容れたこころの底を流れていたもの、精神文化に息づいていたものはなに?、それを引き継ぐ現代人のこころの襞をくすぐりながら、訴求力を高めるための有効な方法は、???などと思いめぐらしつつ・・・。

響いたのは、最後のコメント。
「身体、生活、人間性、そして社会をその内発的な作用を最大限に生かしながら、『やわらかく』修復していく文化的技法としての『養生』の可能性」 テツガクテキ・イミシン・ムヅカシイ・・・。

個人に向けて、「修養」という人格づくりと併せて語られた近世の頃の「養生」。その変遷は、著書「養生論の思想」の帯に ~「生産的身体」から「周遊的身体」へ ~ と表されている。
現代の「健康」、「健康の産業化」という文脈のなかで語られるときは、どうか。
「やわらかさ」を維持させるための柔軟剤として、人を「人」としてとらえる、時代の文化に根付いた「養生」という考え方。その対極にある科学の対象としての身体、あまりに分節化しすぎたたために生じる、個人の生き方(身体)との乖離。また、情報過多のなかで、全体性を見失ったことにより生まれる、マニアックな行動。そうしたことへの違和感・・・。
これも、それも、すべて戦後の産物とのご見解。
別のところで、瀧澤先生は、Scienceを補完するものとして、Culutere・Art(文化・芸術)の役割についても述べられている。(Scienceは、科学的根拠(Evidence)に置き換えられそう)。
文化によって、地盤がかたまる、個人の生き方。

まちづくりという地域の人びとの総意に、こりこりした「健康」という概念を持ち込むときに感じていたぼんやりとした違和感は、そこにあったのかっ。まちに暮らす人びとが楽しく元気になれる、そういった穏やかさを伝える「養生」的なまちづくり。それができれば、ぬぐうことができるかも―。
じゃあ、どう、具現化できる?

・・などなど、まだ整理しきれていないけれど。

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