記憶をたどって、ずいぶんと久しぶりに読みかえした、恩師の一節。
毒をもつイソギンチャクとオドケウオの共生は、毒に苦しめられる魚が相手に応戦する手段を進化させる結果、到達した相互依存関係であるという。異種のものが相手に干渉し合い、挑戦と応戦をくり返し、相互矛盾を克服したときに到達する相互依存が共生であるというわけである。相互矛盾のないところに相補性も共生も生じないのである。これは<共生のパラドックス>である。
(塩原 勉 「転換する日本社会 対抗的相補性の視角から」、新曜社、1994、54頁)
異なる主体が共に力をあわせて、何かを成し遂げようとするときには、相互の「矛盾」は大前提。ちょっと迷うけれど、それでへこたれるのではなく、繰り返し、繰り返しの対話により、克服のための道筋を明らかにしていくことが必要、と解釈します。
まちでも、いえでも、おそらく、ほとんど、なにごとも。よっぽどの共通の利益が明らかな場合や「擬似共生」を除いて。
ところで、オドケウオってどんな顔しているのだろうか・・・?、楽天的な目鼻立ちがうかぶよな。






