- 06-12-10
- life
世の中、ネットにつながりさえすれば、なんでん情報を集めることができるし、こうして携帯から投稿できる優れもののソフトも、オープンソース(指動かすのに、ものすっごいっ時間かかって途中で断念しましたが・・・)。
また、良心的なBLOGやSNSのコミュニティの世界では、知恵やノウハウが惜しげもなく披露されている。
21世紀になって、急に、人がみな献身的になったとも思えないので、もともとそういう心持ちの人が少なからずいて、周りを感化しながら同志を増殖させたんだ・・・、World・Wideになって接する機会が増えた、検索の網が細かくなって引っかかりやすくなった、個々の知恵をいかし活躍できるニッチな場が増えた、などと理由を考えてみたりする。
いずれにせよ、日常・従来型の会社の価値観・枠組み(競争とか営業とか)との大きなギャップをひしひし感じる。
でも、「集合知」とか言われるけれど、ネット上のどれを信じていいのか、ヤバイのか。
フィクションがノンフィクションのように語られることもあるかもしれないし、信じるか信じないかの基準は、匿名だからとか、知り合いだからといった理由がすべてではなくなってきている。
自分におきかえると、リアルとバーチャルとが入り混じるなかで、「フィクション」を語る、―それが「計画」の仕事だったりするんだけれど (未来のシナリオといった意味での「フィクション」) 。
ただ、具体のユーザーの顔が見えにくいと、ついつい「時代」とか、「潮流」とか、「環境」とかいう言葉で丸め込んだ筋書きづくりを行なってしまう。すると、自分が語ろうとすることが、宙に浮いてしまい、掴まえられないと感じることもある。それは、ヤバイ。
バーチャル、フィクションの側にある出来事、事象を、もっと自分の側に引き寄せる。その作業を、このブログを通じてできたらいい。
チンッされて人肌にっ、ちょっと温もる「ぬる燗」のような note に。
(最近、冷えるからそう思うのか、「続編」きっと、あるはずっ。)






