- 07-08-21
- work
新快速に乗車して、H市からの60分、、その車窓を眺めながら思ったこと ― 。
停車駅に近づくたびに同じような駅前の風景が繰り返す。駅ビル、衣料や家電の見慣れたロゴ入り看板、ありがちなオフィス・ビル。
その顔は個性を失って無表情。まちの中心はもう随分と前に別の場所に移動してしまっていて、利便施設だけが歯抜けになるのを堪(こら)えながら、なんとなく残っているようにも見える。化粧をほどこすかのように誘致されるナショナル・チェーン。中心性を取り戻すためには支店が必要?。
電車を降りて歩いてみれば、地場の人びとの営みが満ちているのだろうけれど、そこには、『途中下車してみようっ』と思わせる風景はない。どこでも同じの顔に邪魔されて、想像がしぼんでいく。阪急沿線の準急停車駅の方が、余程その個性にそそられる気がする。
多くの地方中心都市が支店経済によって支えられている。業務系だけでなく商業も同じこと。そうあらざるを得ない消費者意識と経済システム。
そんな中で、地域の文化の中心はどこをさまよっているのか。
かつての法律と政策は、中心市街地を「まちの顔」と呼んだ。その限界も指摘され、「まちの顔」は地域内の資本だけで回らないことも明らかになった。一方で、地域固有の歴史文化への着目が大切と、改正された法律は説く。まちの中心には地域の文化が息づいている(息絶え絶えに・・・)。だれがそれを現世によみがえらせるのか。
そもそも「まちの中心」にしたいと思っている人がどれだけいるのか。大手商業資本は規制に従うまでで、この状況を喜んでいるはずもない。それを支持する消費者も然り。ビジョンを描かない個人商店の主(あるじ)にとっては関心の外。
そんなことに思いをめぐらせるのは、地方政府とそこからコンサル費用を頂戴しようとする業者だけなのかもしれないぞっ。中心市街地の活性化を本気で願っている人はどれだけいるのか?、そんな疑問もわいてくる・・・。
いやきっと、たくさんいらっしゃるのです、街の中に。
車窓越しにも確認できる、ふっと途中下車してみたくなるような表情が数多く生まれますように、、。






