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    <updated>2012-01-06T12:11:55Z</updated>
    
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    <title>発達するということ vol.8</title>
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    <published>2012-01-06</published>

    <summary>今日もとても寒い一日でした。でも桜の木をみあげると、...</summary>
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        <![CDATA[<p>今日もとても寒い一日でした。でも桜の木をみあげると、小さな固いつぼみがついています。春はすぐそこまで来ていて、夏の強い陽ざしも、秋のただよう雲も、順に猛スピードで巡ってくるはずです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>そんな当たり前と思っているサイクルが狂ってしまう瞬間がくるのかしらん。ちょっと大袈裟な例えですが、そんな不安を感じた正月休みでもありました。</p>

<p>人と人が交わることで、自身の確からしさを認めさせてもらえ、両者のあいだから思いがけないコトが生まれる可能性を秘めています。それを十分に認めながら、そんな Happy ばかりではないということを思います。<br>
目の当たりにした、人とうまく交われない病いがもたらす不幸せの予感。<br>
老いの衰えと、発達の弱さ。その間に通じるものを感じます。向き合ったときのもどかしさに周りは苛立ちますが、当人たちは、その空気を感じているのかいないのか、認められてないように、どうしても見えてしまいます。周りがその状況を受け入れることができるのか、どうなのか。相互作用とはちがう関係のなかで、どう交わっていけばよいのか。</p>

<p>根っこのところでは、一緒にいる時間を嬉しく思うのは、紛れもないことです。<br>
New Year だからこそ集いもするし、Happy だからこそ空回りが加速しているようにも思えます。</p>
<p>社会の中で考えるにはやっかいな話しだけれど、Happy New Year に気づかされた感じでした。</p>]]>
    </content>
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    <title>フリカエリ...</title>
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    <published>2011-12-30</published>

    <summary>事務所の忘年会も終わり、拭き残したデスクの前でしばしの振り返り、、。 とにかく、...</summary>
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        <![CDATA[<p>事務所の忘年会も終わり、拭き残したデスクの前でしばしの振り返り、、。<br>
とにかく、たくさんの方にお会いし、お話しを聞く機会に恵まれた一年でした。</p>]]>
        <![CDATA[<p>厳しい環境の中でモノづくりに向かう経営者。個性は色々で、二代目・三代目の若い社長も結構おられ、元気な会社の社長の言葉には、共通して響くものがありました。また、センスやガッツ、創造性で価値を生み伝えようとモノゴトに向かうクリエイターさんにも数多くお会いできました。<br>
「お前もがんばれよっ」ていう感じですが、そうした人びとを応援したい、できるだけの役割を果たしたい、と思いながらの一年でした。</p>
<p>チカラ及ばずや残念さで迷惑をおかけしたことを反省しつつ、基本のなってなさに凹みつつ、場づくりの難しさを痛感しつつ、チャレンジングな企画にも機会を用意いただいたことをありがたく思いつつ、、ほとんどの時間を充実して過ごせたこと、、皆さまのおかげさまと、素直に感謝しながら、事務所の灯りを消せました。<br>
また、いい年が迎えられるよう、しっかり準備しておきたいと思います。</p>

<p>でもまだ、数千人の行方不明者がいることには、やはり、こころが痛みます。</p>
<p>みなさま、どうぞ、よいお年をお迎えください。<p>]]>
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    <title>凸凹、デコボコ 〔β版〕</title>
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    <published>2011-08-03</published>

    <summary>ここ数年、大切にしてたシゴトがはじけてしまって、なんだかなぁ、な日日。...</summary>
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        <![CDATA[<p>ここ数年、大切にしてたシゴトがはじけてしまって、なんだかなぁ、な日日。</p>]]>
        <![CDATA[<p>運もあれば不運もあって、それを受けたり奪われたり、、<br />
絶対というのはありえないことを改めて思い知らされた。<br />
そんなこととは無関係に、世の中にはいくらでも代わりはいて、誰も気にしやしない現実。</p>
<p>量とか額が優先された魂のぬけた儀式のようにモノゴトが進められていく会議室。<br />
数字を競ったり、実はそんなのにあんまり興味がないことの、しっぺ返しのような喪失感。</p>
<p>楽しいプロセスがあれば次につながるだろうし、それで十分と思ってしまう癖。</p>
<p>多くの出会いもあって、よかったのに、、ね。<br />
しばらく、どう楽しもうかしらん。<br />
次のそれ、見つけるところまで、、凸凹、デコボコ、、凸凹、デコボコ、。</p>]]>
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    <title>エネルギーと価値 〔β版〕</title>
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    <published>2011-07-29</published>

    <summary>ちび用の絵本にあったエネルギーの話しと、 ある方のおっしゃるエネルギーの話しがシ...</summary>
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        <![CDATA[<p>ちび用の絵本にあったエネルギーの話しと、<br />
ある方のおっしゃるエネルギーの話しがシンクロして、あらぬ方へ。。。</p>
]]>
        <![CDATA[
<p>目に見えない、けれど、モノが動いたり、伝わったり。。。<br />
エネルギーと価値って同じ性質を持っているように、思えてきた。</p>

<p>その絵本のなかでは、<br />
坂を上がる時はエネルギーを消費するけど、下る時はその間に蓄えられたエネルギーで動く（転がる）、位置エネルギー。<br />
目に見えないけれど、そのものの内に蓄えられたり、消費させられたりする。<br />
食べものは、人が活動するエネルギーとなる。<br />
... というようなお話しがされていた。</p>

<p>ヒトを突き動かす何かというように考えると、「価値」とヒト、「エネルギー」とヒトとの間に見えてくる共通項、、原理は同んなじものののように思えてくる。<br />
モノの場合、エネルギーを動きに変えるためにいろいろな仕掛けが技術として組み込まれて機能を発揮する。物体・素材が製品となる。作り手の込められた価値が使い手理解されるように「デザイン」という技法が用いられる。価値を見せるって、単なる技法にとどまらない、相当に難しいことだとも思うけれど、、極論。<br />
とか、とか、、、立ち往生する電車のなかで妄想。</p>
<p>電車を止めるのも、社会システムを変えるのも、、、正負に拘らず相当なエネルギーが必要だったよねん。</p>]]>
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    <title>gion matsuri festival</title>
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    <published>2011-07-24</published>

    <summary>いろいろな技が詰め込まれている、、のねん。 ...</summary>
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        <![CDATA[<p>いろいろな技が詰め込まれている、、のねん。</p><p>
<iframe width="425" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/5G4DPQ32Y_w?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
</p>]]>
        <![CDATA[<p>
<embed src="http://www.youtube.com/watch?v=5G4DPQ32Y_w" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="350"></embed>
</p>]]>
    </content>
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    <title>文殊のちえ 〔β版〕</title>
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    <published>2011-06-02</published>

    <summary>前の職場のスピンアウト組・3人が集まって、某所の企画書づくりのミーティング。...</summary>
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        <![CDATA[<p>前の職場のスピンアウト組・3人が集まって、某所の企画書づくりのミーティング。</p>]]>
        <![CDATA[<p>なんともな組合せ、、<br />
前の社長が知ったら、なんと言うかしらん。</p>

<p>途中、当時の上司が語ったことと、同じようなことを口走ったようで、<br />
忘れているけど、刷り込まれていたのね、と。<br />
そう、そこ（前職）でも、扱っていたフィールドのはなし。</p>

<p>あれから、もう20年近く、経っている。<br />
2時間ほどの議論で気のついた、、変わったところと、変わらぬところ。<br />
... 白髪の量と、てっぺん地肌が透けはじめる、、<br />
そんな生理的な変化だけは確実に進行、、。</p>]]>
    </content>
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    <title>デザインについて妄想中 その２ 〔β版〕</title>
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    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2011:/note//1.977</id>

    <published>2011-05-29</published>

    <summary>しばらく、ものづくり企業のデザインによる活性というテーマに携わっていて、その延長...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kawanoyuuki.net/note/">
        <![CDATA[<p>しばらく、ものづくり企業のデザインによる活性というテーマに携わっていて、その延長線上で、コンテンツ産業やメディア、販売の場面について、妄想中。</p>]]>
        <![CDATA[<h4>プロセスと、、ものづくりとコミュニケーションのデザイン</h4>
<p>「開発（素材・技術）－生産・製造・制作－流通・管理－販売－消費・受容・利用（生活）」の事業のプロセス、そこで生じる市場（バイヤー、ユーザー）とのあらゆる接点（タッチポイント）において、ブランディングを意識すること。<br />
全体を俯瞰しながら、企業のコンディションにあわせて、もの・こと、サービスを融合させ、作り手から使い手へモノやサービスの価値がスムースに伝わるよう、全体をコントロールしていくことが大切。</p>
<p>先日のセミナー（日経デザイン 下川編集長）では、ものづくりとコミュニケーションのデザインを通じて、ブランド価値を見える化し、それを伝えるプロセスにおいて、人、モノ、カネ、時間をマネジメントすることが、デザイン・プロデュースの実際であると仰っていた（、と理解した）。</p>

<p>追記、、図解してみた、、<br /><br />
<img alt="process" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/05/30/depro.jpg" width="550" height="182" class="mt-image-none" style="" /></p>

<p>あれ、価値のあるなしは、だれが決めるのかしらん？ </p>

<h4>ブ、文明史的に ...(?)</h4>
<p>民博「ウメサオタダオ展」から、、氏の「情報の文明学」に、第2次産業は情報をざっくりとしか扱えていない産業で、、もっと精密化できる、、、農業、製造業の情報化が進んでいる、とあった（あっ、40年前に）。<br />
モノ自体がシンプルに語りかけるデザイン、、それを可能にする伝統の技の蓄積、先端的な科学技術・素材も生まれている。</p>
<p>また、すべての存在、それ自体が情報であり、メディアは情報を流すために存在していて、そこにでは、合目的的にコンテンツ流れているわけではない（水が流れるために蛇口があるように、、違う？）、とか、情報とコミュニケーションは別物と、いう記述もあった。</p>
<p>それぞれに込められた情報の特徴、目に見えるモノ、目に見えないサービス、加えられるコンテンツ、メディア、デザインのそれぞれに共通することと、しないこと。</p>
<p>あれっ、情報とコンテンツ、情報と価値、どう違うのかしらん...情報を見える化したものがコンテンツ、その手法がクリエイティビティ、、??、デザイン??、あれれっ。<br />
てな感じで、危ういまま。。。</p>

<h4>もういちど、プロセス ... </h4>
<p>文献には、業種の違いによって、事業のプロセスにいろいろな言葉が当てられているのも、面白かった。コンテンツ系では川下にウェイトが置かれ、生活の中のほうまで入り込んで考えられている。<br />
クリエイター・プロデューサーと呼ばれる人がどの事業範囲までを担うのか、どの視座から俯瞰するのか、を考えたい。</p>

<h4>妄想、つづき、、</h4>
<p>国内市場が縮小し、海外展開、国際協業が求められるという現実の中で、産業だけ考えていると、地域に拘る理由が見失われる。従事する人、雇用と暮らし、さらには活動の舞台である地域・都市のことも想像しながら、あり様を考えていきたい。</p>
<p>また、メディアの世界でも、技術革新を通じて、コミュニケーションのツール（媒体）は進化し、双方向となり受発信の起点が相互に入れ替わり、それに応じたコミュニケーションやコンテンツのデザインが生まれている。ただ、その軸は、モノ（サービス）の価値をシェアする、作り手と使い手の関係づくりにある、のかしらん。</p>


]]>
    </content>
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    <title>デザインについて妄想中 その１ 〔β版〕</title>
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    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2011:/note//1.976</id>

    <published>2011-05-26</published>

    <summary>「知財で「デザイン思想」を護る」という話しを聞いてきた。 ...</summary>
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        <![CDATA[<p>「知財で「デザイン思想」を護る」という話しを聞いてきた。</p>

]]>
        <![CDATA[<p>思想、情報、カタチ、、、それぞれの指すコトがらの違い、、ゴール（目的）の違いが見え隠れ。<br />
制度設計の紹介を含めてテクニカルには、とても面白いけれど、だいぶんと翻訳が必要なように感じた。</p>
<p>妄想、、まとまらないので、、単語の羅列、、、<br />
デザイン思想と、思想から生まれるカタチ、その周りに漂う空気、色やカタチやサイズや手触りなど五感が受け取る情報、需要者に伝わる情報、非言語を含む情報によるコミュニケーション、、その間のいろいろな不等号。<br />
知財でデザイン（意匠）を模倣から護るのは、どこまで可能で、、どこまでは不要なのかしらん、、、<br />
、、、というような、ウメサオ的ではない問いが浮かんだりする。すこし違和感。。。</p>]]>
    </content>
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    <title>デザインのチカラ</title>
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    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2011:/note//1.973</id>

    <published>2011-03-09</published>

    <summary>「デザインは万能」と語る人にちょっと辟易したり、「社会を変えるデザイン」という言い方に違和感を感じつつ、、妄想。。。</summary>
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        <![CDATA[<p>「デザインは万能」と語る人にちょっと辟易したり、「社会を変えるデザイン」という言い方に違和感を感じつつ、、妄想。。。</p>


]]>
        <![CDATA[
<p>くらしの課題を解決するのは、それに応えるモノやサービスを提供する企業があってこそ、。<br />
そこをすっ飛ばして、デザインの力が云々、と語られても、どうなのかしらんと思ってしまう。</p>

<p>製品やサービスを提供することにより、くらしや社会の課題を解決していくよんというメッセージ。規模の大小にかかわらず、これをクリアに届けなければ、企業が生き残っていくには難しいように、思う。<br />
そんな感覚を社会や市民の側は、確かに持ち始めている。功利だけでない、社会的な意義のようなものを企業の信頼性を測る尺度ととらえる感覚。そんなマインドが拡がりつつあるように思う。<br />
<br />
製品、ブランド、、いろいろと課題を抱える企業にとって、その解決にデザインやデザイナーだったりが一役買うはずだという期待は膨らむ。</p>

<h4>ヒト、コト、モノに宿る...</h4>
<p>外側から作用するばかりで、作為的で、解釈の表現が目立ちにすぎるデザインもけっこう目につく。個人的には、手仕事の中にピュアなデザインが宿る民藝の作品が好き。<br />
抽象的な言い方しかできないけれど、、、<br />
素材や技に培われた製品の個性を発揮できるよう、モノとその周りを整えるのがデザインの本来の役割のように思える。デザインがモノの内側に入り込み、主張しないころ合いにまで溶け込んでいるか、どうか、、<br />
それを実現する、モノづくりとデザインの融合をプロデュースする担い手が必要に思う。</p>
<h4>伝えること...</h4>
<p>もうひとつ、作り手から使い手へ「伝える」経路の間に立つ流通の人がたくさんいて、作り手が意図しない経済原理も強く働き、伝えたい大事なことが、勝手にすり変えられたり、捨象されたりしてしまうことが多いように思う。<br />
モノ（本物）と使い手の距離を縮め、ダイレクトに接すること、、あるいは他を語らせないほどシンプルなメッセージを中心に仕上げること。それができていれば、もっともっと「伝わる」だろうと。<br />
その仕掛けの一つとして、「作り手」自身が「伝え手」となるという <a href="http://narastyle.exblog.jp/11377633/">奈良slow style</a> の取り組みは、魅力的だし、信楽の <a href="http://sansaku.shiga-saku.net/">窯元散策路の wa</a> も同じ方向を向いている。とくに、二代目、三代目のなかには、そうした感覚に敏感な人も多い。</p>
<p>そんな産地と産地をつなぐことで、相乗効果が生まれやしないか、、企業のモチベーションに直結するプライド（誇り）を抱き続けられるような仕掛けを考えていきたい、と思ったり。</p>
<p>意識の高い人が集い語り合う場づくりから、始まるのかもしれない、、と思い始めるこの頃。</p>
]]>
    </content>
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    <title>ルーシー・リー展</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/02/post_253.html" />
    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2011:/note//1.972</id>

    <published>2011-02-15</published>

    <summary> 週末、東洋陶磁美術館で開催のルーシー・リー展へ。会期中にギリギリ間にあって、朝...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kawanoyuuki.net/note/">
        <![CDATA[<p> 週末、<a href="http://www.moco.or.jp/">東洋陶磁美術館</a>で開催の<a href="http://www.lucie-rie.jp/">ルーシー・リー展</a>へ。会期中にギリギリ間にあって、朝の開場前からの数十人の列に加わった。</p>]]>
        <![CDATA[ <p>ひき込まれる作品の数々、なんてっ柔らかいカタチとイロであることよ。<br />
鮮やかなピンクやブルーに、熔岩釉さえも優しく見せるか細い輪郭、サラダボールの丸みと微妙な歪みと、掻き落としの素朴な線模様。</p>

<p><a href="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/01/120years_ago.html">寛次郎作品</a>の肉肉しさとは対照的な薄い縁取り。でもでも、共通する優しさ。<br />
それと、、ユダヤ人という出自や亡命といった苦難や、きっと囚われたに違いない恐怖がどう関係しているのか、していないのかしらん、、と思いながら、<br />
作品を観（み）、こころの緩みを感じつつ巡った、なんとも心地よい時間でした。</p>]]>
    </content>
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    <title>観劇、鍛冶屋、砂糖の影 〔β版〕</title>
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    <published>2011-02-05</published>

    <summary>モノの境界線はハッキリしてるという思い込みを外された感じの...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kawanoyuuki.net/note/">
        <![CDATA[<p>モノの境界線はハッキリしてるという思い込みを外された感じの週末（先週末）。。</p>]]>
        <![CDATA[<h4>TROPE 観劇</h4>
<p>新快速の車中、四半世紀前のdumb type theater を回想。「ぷがじゃ」の数行コメントを頼りに向かったアートスペース無門館（今はもうない？）。こんな世界があったのねと衝撃的な初観劇、ずいぶんと触発され、同時に居場所を見つけた安心感のようなものがあった、と記憶。<br />
それきっかけで、お芝居の世界に紛れ込み、学祭模擬店の「一座」チームでも楽しく真似っこした、、とかなんとか、かんとか、、新快速の車中で思いつつ、会場に向かい、<br />
<a href="http://www.monochromecircus.com/trope/index.html">TROPE</a>を観劇、、音楽は元dumb typeの方が担当。</p>
<p>客入れのパントマイム映像と本番のパフォーマンスとの対比、、<br />
パントマイムは、そこにあたかもモノがあるかのように演じられ、実在しないモノを身体を通して見せてくれる。今ここにある家具になるかもしれないモノと素で向き合う演者。テーブルを支えその一部となる足、頬づえをつく上体。モノと身体の境界が溶けていく。<br />
そこまで遡れる？、という問い、かしらん。</p>
<p>なにより、演者がコントロールする、しなやかで強い美しさ、そこに家具が加わっても、スムースさを失わない、その身体能力に魅せられた。</p>
<h4>鍛冶屋の火花</h4>
<p>その翌々日、堺の鍛冶屋さんへ。</p>
<p>松の墨の熱と鋼と鍛冶屋。鋼と鋼。硬さと粘り。</p>
<p><img alt="sasuke01.jpg" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/02/05/sasuke01.jpg" width="450" height="338" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>錆びと手沢・なれの艶。鉄と漆。時間の経過までも意識した技法は、モノと人が馴染んでいったところまで想定している。始まりだけでなく、長い時間、美しさを保つように施される技。</p>
<p><img alt="sasuke02.jpg" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/02/05/sasuke02.jpg" width="450" height="336" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>キラキラした玉鋼（タマハガネ）の塊も見せてもらった。出来上がりの鋭さ、繊細さとは別モノの荒々しさ。それを叩いて、叩いて、叩いて、整えられるカタチ。<br />
<p>ただ、墨づくりや砥石の職人になりたがる人がいなくなっている、という。伝統産業を下支えしてきた産業の衰え。</p>
<p><img alt="sasuke03.jpg" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/02/05/sasuke03.jpg" width="338" height="450" class="mt-image-none" style="" /></p>

<h4>あまい砂糖の影</h4>
<p>もうひとつ、<a href="http://www.mondebooks.com/">主水書房</a>の縁側に生けられたあまい影。</p>
<p><img alt="mondo01.JPG" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/02/05/mondo01.JPG" width="450" height="338" class="mt-image-none" style="" /></p>
]]>
    </content>
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    <title>120years ago</title>
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    <published>2011-01-25</published>

    <summary>大阪高島屋の河井寛次郎生誕120年の記念展へ。</summary>
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        <name>26kame</name>
        
    </author>
    
        <category term="life" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kawanoyuuki.net/note/">
        <![CDATA[<p>大阪高島屋の河井寛次郎生誕120年の記念展へ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>デビューの頃から、ずっと高島屋と毎日新聞がスポンサーとなって作品が世に発表されてきたらしい。<br />
技、暮らし、交わり、生命、造形、祈りという6つのテーマに沿って並べられ、同い年頃の作品もあったのだけれど、けど、、、<br />
晩年の静かに荒ぶる作品の方がもっと楽しい。陶器もいいけど、幾何学っぽいメカニカルっぽい木彫の面はもっと楽しい。<br />
肉厚な両手に包まれた球とか、キツネの指につままれた花とか、<br />両手の裏に人面が彫られてあったりとか、<br />陶土が盛られデコレーションされた花器とか、、、<br />
あるがまま、見るがままに美しいモノたち。</p>
<p>つい図録も買ってしまい、<br />
その中の文机や調度品、照明のかさのキャプションには「寛次郎デザイン」と記されていて、「デザイン」という言葉の使い方を新鮮に感じた、、<br />
寛次郎 ＞ デザイン の不等号の重さ、厚さ。<br />
そんな固有名詞は珍しく、でもそう思わせる実物。</p>
<p>大工の棟梁一家に育ったという寛次郎、（呼び捨てにするのもどうかと思いつつ、)<br />
鷺さんの解説にもあったけれど、モノだけでなく空間として調整されているのが心地よいのか、、、</p>
<p>記念館にはない個人所蔵の作品もたくさん集められていて、<br />見に行った甲斐もあった。<br />
なんだろう、この楽しさは、、、<br />
どうしてこんなに惹かれるの、かしらんと不思議な感じ。</p>
<p>出口近くで流されていたムービーには、一瞬だけシマちゃんも映っていた。<br />
年譜を見ると、寛次郎が亡くなった年に、26kame が生まれたことになっている。</p>]]>
    </content>
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    <title>資源となる その2 revice 〔β版〕</title>
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    <published>2011-01-10</published>

    <summary>3年も前のエントリーだけども、「象徴資源」とかだいぶんと小難しいけれど、、</summary>
    <author>
        <name>26kame</name>
        
    </author>
    
        <category term="impressions" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="shigen" label="shigen" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kawanoyuuki.net/note/">
        <![CDATA[<p>3年も前のエントリーだけども、「象徴資源」とかだいぶんと小難しいけれど、、<br />
自分では、今でも結構、確からしいだろうと思える<br />
エントリー <a href="http://www.kawanoyuuki.net/note/2008/01/_2.html">資源となる  その２</a> を revice 。</p>]]>
        <![CDATA[<p>一番下に 「使い手」のハコを加えて、ちょっとひいてみて眺めてみた、、</p>
<br />
<p><img alt="shigen02" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/01/07/shigen02.jpg" width="400" class="mt-image-none" style="" /></p>
<br />
<p>使えるモノがあふれる中、製品やサービスは「媒体」としての機能の方に、寄り始めているのかもしれない、と。<br />
オレンジの「使い手」が抱く価値観が、製品・サービスを選択するとすれば、<br />
グリーンの「作り手」たちの抽出する象徴（シンボル）とつなぐものが、<br />
デザインだったりブランディングだったりの相互作用では、ないかしらん。</p>

<p>それが、ケ・日常 を活性する ハレ ・非日常 のようなものだとすれば、<br />
機能の良しあし、価格の高い安いとは、ちょっと別の流れにあっても許されそう。</p>]]>
    </content>
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    <title>flow 2011</title>
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    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2011:/note//1.966</id>

    <published>2011-01-02</published>

    <summary>新年、明けましておめでとうございます。旧年中は、大変お世話になりありがとうございました。</summary>
    <author>
        <name>26kame</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[<p>新年、明けましておめでとうございます。<br />旧年中は、大変お世話になりありがとうございました。</p>]]>
        <![CDATA[<p>思いをこめつつ裏切りつつ、<br />
偶然を寄せるシンプルな流れをただよい、絶やさぬよう、<br />
一年、精進したいと存じます。<p>
<p>ぴょん ぴょん、ぴょ、ぴょん。</p>
<p><img alt="2011ibaraki" src="http://www.kawanoyuuki.net/note/2011/01/02/2011ibaraki.jpg" width="450" height="338" class="mt-image-none" style="" /></p>
<p>本年もどうぞよろしくお願いします。</p>]]>
    </content>
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    <title>年の瀬のつれずれ ［β版］</title>
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    <id>tag:www.kawanoyuuki.net,2010:/note//1.963</id>

    <published>2010-12-29</published>

    <summary>年賀の原稿を書き始めたつもりでしたが、その前に、2010年のふり返り。</summary>
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        <name>26kame</name>
        
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        <![CDATA[<p>年賀の原稿を書き始めたつもりでしたが、その前に、2010年のふり返り。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>時代とか経済とか価値観とか、大きなチカラに後押しされれば加速もするけれど、<br />
置いてきぼりや、忘れ物に気がつく瞬間もあったりする。<br />
隠された綻びやウソ臭さ。それに気づいたところから、修正の試みが生まれている。</p>

<p>当たり前に、一人のチカラが及ぶ範囲は限られていて、<br />
弱くて、できないことだらけでも、<br />
手のひらに乗る小さな想いをつなぎあわせながら、シンプルで確からしいカタチがイメージされていく。</p>
<p>取り繕うことなく、思いをこめつつ裏切りつつ、振る舞われてできる流れには、<br />
水草とかメダカとかが漂っていて、シジミとかが這っていて、<br />
その湿り気は近いうちに、固い地面を少しずつほぐしていくのではないかしらん。</p>
<p>お仕事にしろ、お芝居にしろ、おうちにしろ、それぞれに色いろとありましたが、、<br />
そんな期待を膨らませる2010年でありました。</p>]]>
    </content>
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